お彼岸の食べ物、といえば、
春はぼた餅、秋はおはぎ、ですよね。
でも、我が家ではずっとお彼岸には
「いなり寿司」を作るのが習慣で、
ぼた餅やおはぎを食べたことはありませんでした。
いなり寿司を作っていた祖母はすでに
他界しており、なぜおいなりさんだったのか、
その理由はもうわからないのですが、
子供の頃はあまり好きではなかった
お酢の効いた稲荷寿司が最近とても懐かしく、
「お彼岸といなり寿司」の謎を解くべく、
色々調べてみました。
お彼岸にいなり寿司は変?
歳時記、暦によると「お彼岸のお供え」は
・ぼた餅
・おはぎ
・団子
・海苔巻き
・いなり寿司
だとあります。いなり寿司も「あり」なんですね!
お彼岸は仏教行事なので、生き物を殺す「殺生」はタブー。
お供えは肉・魚(生臭物)を避けた「精進料理」が基本です。
油揚げで作るいなり寿司は、精進料理になるのですね。
さらに詳しくみてみると、
・彼岸入りーぼた餅(おはぎ)
・彼岸の中日ーお赤飯(小豆飯)
・彼岸明けー団子(明けだんご)
というように、昔はお彼岸の時期によって
お供えするものが決まっていたようです。
これを見ると、いなり寿司は比較的
新しい習慣なのかな、と思います。
いなり寿司、という食べ物が歴史に登場するのは
江戸時代後期の守貞謾稿(もりさだまんこう)
という江戸・京都・大阪の風俗を記した
百科事典的な書物に記された以下の文章が
最古の史料とされています。
江戸にて油揚げ豆腐の一方をさきて袋形にし、
木茸干瓢を刻み交へたる飯を納て鮨として売巡る。
(中略)
なづけて稲荷鮨、或は篠田鮨といい、ともに狐に因ある名にて、
野干(狐の異称)は油揚げを好む者故に名とす。最も賤価鮨なり。
尾の名古屋等、従来これあり。江戸も天保前より店売りにはこれあるか。
この史料により、いなり寿司発祥の地は
「名古屋(豊川稲荷)」とするのが定説です。
いなり寿司の具は地域(関東関西)で違う!
祖母の家は東京(文京区)ですが、
いなり寿司は具入りでした。
なので、初めて具の入っていない
おいなりさんを食べた時は驚きました!
でも関東のいなり寿司は具なしの
酢飯、または白米が主流なんですね。
関西のいなり寿司には、シイタケや人参、ゴマ
などの具が入る五目いなり、ということですが
私の家は関西とは縁がないのになぜ稲荷寿司に
具が入っていたのか、とても不思議です。
具のあるなしだけでなく、関東と関西では
いなり寿司の形も違い、関東は俵形ですが
関西は三角です。私は三角のいなり寿司は
今まで見たことがありませんでしたが、
お山の形のおいなりさんも可愛いですね。
いなり寿司は油揚げを半分に切って、四角く
俵型に作るものと思っていました。
関西には正方形のいなり寿司用の油揚げ
というものもあるのですね。
関西の稲荷寿司が三角なのは、狐の耳、または
稲荷山を表しているためだそうです。
狐の耳、と聞くとますます可愛く感じます!
うちのお彼岸いなり寿司の具は、れんこんと人参
祖母のいなり寿司の具は、レンコンと人参でした。
中のご飯は酢飯です。
東京では、浅草三社睦会御用で有名な
「まつむら」さんの秋のお彼岸後のいなり寿司に
レンコン、人参、昆布が入りますが、うちでは
昆布は入っていなかったと思います。
具はとても酢が効いていたのですが、
それはレンコンを酢で煮ていたからだ、
と後から母に聞きました。
実家ではいなり寿司は祖母の家(本家?)から
もらうもので、自分達で作るものではありません
でした。
子供の頃は食べさせられるのがちょっと苦痛
だったのに、最近になってもう一度あの甘いお揚げと
シャキシャキ酸っぱいレンコンのいなり寿司が
とても懐かしく思い出されます。
おばあちゃんに作り方を習っておけば良かったなぁ。
レンコンが入るいなり寿司のレシピを探してみたら、
栗原はるみさんのおいなりさんレシピが
レンコンとゴマ入りでした。
栗原はるみさんの出身地も東京かも!
と思って調べてみたら「静岡」でした。
ぼた餅やおはぎはご飯にはなりませんが、
具入りのいなり寿司ならば休日の昼食に
ぴったりです。
ちらし寿司の元などを使えば手軽ですし、
お彼岸の精進料理として、今年は
おいなりさんを作ってみてはいかがでしょうか?
まとめ
お彼岸のお供えがぼた餅、おはぎではないのが
ずっと不思議で、甘いものが大嫌いなご先祖様
だったのかしら?と思っていましたが、
今回いなり寿司の歴史を調べてみて
お彼岸にいなり寿司、というのもまんざら
間違いではないのだなぁとちょっと嬉しかったです。
いなり寿司は地域によって本当に様々なんですね。
今年のお彼岸は地元のいなり寿司を手作りして
ご先祖様にお供えしてみませんか?